たまたまニュースアプリに出てきたので読みましたが…
騎手だから叩かれるのは宿命ですが、19・20歳の新人をニュースサイトが吊し上げるのは、いかがなものかとは思いました。ミスも違反もするから新人騎手の減量があるのであって。最初からミスない騎手はいないはず。https://t.co/NKTw9lMZKP— Mitsuoki Numamoto (@mitsuoki) June 14, 2022
私は、自身のツイッターにこう書きました。なぜそう思うかは、以下に記していきたいと思います。
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「バカヤロー!金返せ!」
よく、このコメント聞きますよね笑
武豊騎手いわく「俺、金借りてないんだけどなぁ」というわけですが、勝負の世界に身を置く人間は、少なからず批判の対象となります。無論、勝てば批判を忘れるほどの名誉に浴することになります。
基本は負ける仕事
騎手は、10回の騎乗で2回勝つ、つまり勝率2割にもなれば名騎手と呼ばれます。
上記は、JRA騎手リーディング。2割を超えているのは、上位15騎手の中でも、川田将雅騎手、クリストフ・ルメール騎手のみで、最も近くても福永祐一騎手の0.168。いかに2割キープが難しいことかが、よくわかります。
地方競馬、南関東はどうでしょうか?
地方は地方で、乗鞍の数が中央の何倍にもなるので、一概には言えない部分もありますが、ここでもやはり2割を超える騎手は一握り。森泰斗騎手、矢野貴之騎手、御神本訓史騎手の3名。
レジェンド的場文男騎手は、今季は7.7%ですが、生涯成績は現在17%ですから、騎乗数の母数で考えてもすごい記録です。
でも、裏を返せば8割・9割負けます。それが仕事です。
負けの中に、次の勝因を見出す仕事
これは騎手以外にも言えることですが、調教師・騎手・厩務員・調教助手、そして馬主。これらの関係者たちは、一蓮托生。同じ船に乗れば、勝つも負けるも共有することになります。
競馬ファンは、これら関係者が開催する競馬に、お金を賭けて楽しんでいるわけです。
どこの国も共通。どの陣営も、誰にも当てはまることですが、基本は負ける仕事の中に、いかに次の勝因を見出すか、それが関係者の仕事であり、馬主が最も聞きたいことです。
勝った時には騎手からよい感想だけが出ますが、負けた時には、敗因を徹底的に騎手から聞きます。
私のいるアメリカも同じ。
なぜ負けたのか。力負けなのか展開なのか、競馬でしか出さない悪癖を出したのか、それとも騎手にしかわからないことなのか。もう、聞けるだけ聞きます。それらが全て、次のレースでの勝因につながるからです。
海外経験することは「箔」ではない
経験をつまないと抽斗が増えない
日本競馬ファンがよく知る外国人騎手たちは、みんな例外なく、数多くの国での騎乗経験があり、それが元手となって、各地での成績をおさめています。
以前インタビューで読んだのでは、クリストフ・ルメール騎手は、インドでも騎乗したことがあるといいますし、私も懇意にしているミルコも、ヨーロッパだけではなく、アメリカでの滞在経験もあります。
ウンベルト・リスポリに聞いても、同じ欧州でも、イタリア、ドイツ、イギリス、アイルランド、フランスでの経験もあります。
グローバル・トロッターで、日本でも騎乗した経験のあるライアン・クアトロも、カタールその他、第三国で数多くの経験をつんでいます。
「箔」ではないと書きましたが、海外での経験をつんでいくことは、自身に箔をつけるというような、浅いものではありません。経験や知識は宝。こと競馬においては、世界各国にそれぞれの特徴があります。それを経験していく分だけ、抽斗が増えていくのです。
利益の有無は後回し
レジェンド・武豊騎手も、リーディングジョッキーの地位を捨てて、フランス・アメリカに長期遠征を敢行。「よりよいジョッキーになりたい」一心で、半年・1年。奥様の量子さんと一緒に、現地に滞在して、調教・レースに騎乗。その経験は、間違いなく今も豊騎手に息づいていると思います。
カナダの福元くんも、海外経験をつむことには貪欲。
今年の1月〜3月の間、サンタアニタ競馬場で騎乗。重賞も1つ勝つことが出来ました。
ビザの問題もあり、短期になりつつ、収入も安定しない状況の中ではありましたが、彼の中では非常によい経験となったと思います。
以前は、知り合いに聞いたから、とトルコ競馬に突撃訪問。英語が喋れる人がほとんどおらず、競馬場に行ったはいいものの、取り付く島もない状態。「終わったなぁ」と思っていたら、英語を話せる人が見つかり、そこからトルコでの競馬体験を手にするに至ったこともあったそうです。
若いうちはそれでいいんですよ。大事に育てよう。
不惑の年を過ぎまして・・・本当に心からそう思います。どんな無茶や失敗をしても、怪我・病気さえしなければいいと思います。それぐらい、若いうちの経験は宝。できる限り多くの経験をつむことです。
そのためには、大人の我々が、つまらないペンの力(今はキーボードの力かな?)で、若い芽を詰んではならないと、心から思います。もちろん、許容できない失敗に相手を叱責することはあって当然。でも、感情に任せて相手を言葉で殴るのではなく、なぜダメなのか、責められなければならない失敗なのかを、冷静に相手に伝えるべきであろうと思います。
近年、誹謗中傷が原因で自らの命を断つ人たちのニュースは跡を絶ちません。メディアに携わる人間は、自身が書いた言葉ひとつで、その人の人生を終わりにする力すらあることを認識し、ペンを執る(キーボードを押す)べきであると、個人の意見を書き記して終わります。